カール・グスタフ・エミル・マンネルハイム元帥(1867 –1951)
フィンランドの軍事指導者および政治家。フィンランド独立宣言後の内戦にて、白衛軍の司令官として闘った。
20年後の1939年〜1944年 第二次世界大戦中、ソビエト連邦と2回の戦争(冬戦争、継続戦争)および、ナチス・ドイツとのラップランド戦争において、最高指揮官としてフィンランドの防衛を行った。1944年 第6代大統領となり、ソ連との難しい講和を成し遂げ、独立を保った。1946年に大統領を辞任し、1951年に亡くなった。
2000年のフィンランド国内の調査においてフィンランドで最も偉大な人物として選ばれた。
場所:ラハティ(Lahti, Finland)
実際の場所:Equestrian statue of Mannerheim
https://goo.gl/maps/dpnjqko4DbVHo9xX7
https://goo.gl/maps/dpnjqko4DbVHo9xX7
*フィンランドの歴史についてまとめてみました。かなり長いです(汗)
『フィンランドの歴史』
12世紀〜 フィンランドは700年もの間スウェーデンに支配されていた。
1700年代後半〜1800年代初期、ロシア・スウェーデン戦争が勃発。(戦場がフィンランドだったためフィンランド戦争ともいう)
スウェーデンが敗戦し、フィンランドはロシアに統治される。
ロシア皇帝アレクサンドル2世は、開明的な啓蒙君主だったため、フィンランド内政をフィンランド人に任せ、公用語もスウェーデン語とフィンランド語の採用を許した。
こうして「自由の時代」を謳歌し、フィンランド人の民族的基礎が着々と築かれていった。
今でもフィンランド人はアレクサンドル2世を敬愛しており、その銅像とちなんで名付けられたアレクサンドル通りとが有名である。
1835年 フィンランド文化も頂点に達し、民族叙事詩カレワラが出版。
「我々はスウェーデン人には戻れない。しかしロシア人にもなれない。そうだフィンランド人でいこう。」
1881年3月13日 アレクサンドル2世が暗殺される。
その後、ロシア化政策が強化され、フィンランド人の自治は剥奪。フィンランド語も禁止。公用語としてロシア語が強要され、フィンランド人の反発が強まる。
第一次世界大戦中の1917年 ロシア革命によりロシア帝国崩壊。
これを好機に、1917年12月6日 フィンランドは独立を宣言。
しかし独立後のフィンランド情勢は不安定であった。内政的には食糧不足による飢饉、高い失業率、不況といった問題を抱えていた。
そして、1918年 フィンランド内戦へ。
資本階級の人々は自らの財産を守るべく白衛軍を組織(ドイツ帝国とスウェーデン義勇軍が支援)
労働階級の人々は革命を目指して赤衛軍を組織(ソビエト・ロシアが支援)
この時、白衛軍を指揮したのが、カール・グスタフ・マンネルハイム。
白衛軍が勝利し、フィンランドは安定を取り戻した。
第二次世界大戦勃発後の、1939年11月30日 ソ連がフィンランドに侵攻。冬戦争と継続戦争の2回に渡って戦った。
冬戦争は、圧倒的戦力差で優っていたソ連軍に、フィンランドの自然を利用した戦術を駆使して停戦にまで持ち込み、「雪中の奇跡」とよばれた戦争。ソ連が3日で終わると考えていた戦闘は、4ヶ月にまでおよび、フィンランド2万6000人に対し、ソ連12万8000人の戦死者を出した。
ちなみに、この戦争で活躍したのが、「白い死神」と呼ばれた世界最高のスナイパー”シモ・ヘイヘ”。
(冬戦争については、こちらのページがとてもよく説明されていて、非常に興味深く読ませていただきました。→https://repmart.jp/blog/history/talvisota-2/)
フィンランドは勝ちはしなかったが、他のバルト三国と異なり、自国をソ連に侵略されずに済んだ。
しかし、まだ続く戦争。。。
フィンランドとソ連の間で結んだ停戦協定の中に、駐留ドイツ軍をフィンランドから排除する内容もあった。ドイツとフィンランドは継続戦争で同盟してソ連軍と戦った戦友同士であったため、戦闘をほとんど行わず穏便に撤退した。
が、これに激怒したヒトラーから命令が下り、ラップランド戦争が起きる。
1945年4月 フィンランドの長きに渡った祖国を守る戦いはようやく終結し、国の独立を維持できた。
この間の戦死者は約8万5千人。当時のフィンランドの総人口の1パーセントを優に超える人数であった。しかし、第二次世界大戦を通じて、ヨーロッパで国土を占領されなかった国は、イギリスとフィンランドだけだった。また、ソ連軍が戦略目標を達成できずに終わったのは唯一、フィンランド戦のみであった。
『戦後のフィンランド』
継続戦争においてナチスドイツと同盟を結んだため、第二次世界大戦でのドイツの敗北と同じくしてフィンランドも敗戦国となり、ソ連から戦争犯罪に問われることになった。
戦後のフィンランド人は独自の努力と中立国スウェーデン人からの援助によって復興に専念。
賠償金の支払いに工業製品の代物弁済を求められたフィンランドであったが、その賠償のための搬送ルートを東側への拡販ルートとして流用し、東西貿易の窓口として莫大な利益を上げることとなる。
1952年、ヘルシンキオリンピックを開催。同年に対ソ賠償を完済し、財政的な負荷がなくなったため、急速に福祉国家建設へ邁進する。
同時に教育改革、IT革命などにより経済が発展し、21世紀初頭の現在、世界トップグループ一員となった。
*もし間違えているところや追記したほうがいい所などあれば教えて下さい。m(__)m